アムドの南

中国青海省東北部チベット文化圏を中心にした旅の記録です

バトン・ゴンパ→アバ

 

もと来た道に戻り1時間弱行くと、もう一つゴンパがある。
バトン・ゴンパだ、ここには文革の破壊をまぬがれた壁画があると書いてあった。
ほとんどのゴンパは文革のせいで古い物は残っていない、ここなら見れる。
あのキラキラした仏像やタンカが、古くなるとどうなるんだろうと思って期待していたのだが。
寺は工事中、その上壁画のあるお堂のカギを持った坊主が不在。がっかりだ。

ここからこっちは古い建物です、若い僧が説明してくれた。
確かに工事していない側のチョルテンは古い、マニ車も古い感じだ。

しかたなく運転手と一緒にマニ車を回してコルラする。しかし狭いとこなのですぐに終わってしまった。

 

古いマニ車を回していると、取っ手のところに抗菌作用を施してくれないかなあ、と思うのは都会に長く住みすぎたせいだろうか…。

 

せっかちの運転手さんとついにお別れだ。1000元出せば「アバ」まで行くぞと言うけれど、遠慮しといた。

乗ってる車は三菱ならぬ五菱。この辺りでは頑張っている、蘭州でもたくさん見た。

 

まだ時間は十分ある、入口近くの家に荷物を預け少し先の村まで歩いた、食べ物を探しに。
20軒くらいの村がすぐにあった、商店もある。のぞくとカップ麺があった。
この村にはふさわしくないようなマツコ体型のおばさんが出てきてお湯を注いでくれる。
外国人とわかるとただでいいと言う、そうはいかない金を払って、麺を持っていって河原に座って食べた。

このあたりの民家、少しやりすぎだ。

 

元の所へ戻ると、荷物を預けた家が売店だった。さっきは閉まっていてわからなかったのだ、なんだもっと早く言ってよ。

二階は旅館のようにも見える。
男たちの写真を撮って送ってあげることにした。


そして寺の入り口のところで車が通るのを待った。
別れた運転手が必ず通るから大丈夫だと言っていたが、いつまでたっても来ない。
20分に一台くらいは通るが、手を上げても素通りだ。一台だけ停まったがアバには行かないと言った。
どこからともなく年寄りの巡礼者が幾人も現われて、寺にお参りに行く。よく見ると入り口の右側の建物はチベット人の養老院だった。

奥がゴンパ、右が養老院、この入り口で待っていた。

年寄りにはちょうどいい散歩道だ。いろいろ話しかけてくるが何を言っているのかさっぱりわからない。

 


そしてついに車が現れた。2時間以上たっていた。この辺でよく見かけるトラックだ、座席が2列6人掛けになっている。
運転手の男は簡単にOKしてくれた。
しかし走り出すと外国人だとわかったらしく少し緊張している。
いろいろ聞いてみるがほとんど通じない、ただ毎日ザムタンとアバを往復していることがわかった。

道は両側に木が生い茂げるだけで単調だ、毎日退屈じゃないですかと聞こうとしたが、言葉が出てこない。
男は歌を歌いだすがいまいち乗らないみたいだ。もうしわけない、ただで乗せてもらっているのに話題もなくて。
男はとてもいい声をしていた。どの車にも必ずあるCDプレーヤーがない、毎日運転しながら自分で歌うのが好きなのかもしれない。

アバまでの道はずーとこんな感じ、よく見ると暑くもないのに蒸気が上がっている。

トイレ休憩してやっと緊張が解けた。
そしてドライブも終わりに近づいた。ザムタンからアバまでは100キロくらいだ。
だんだん高度が上がって行く、木がなくなって赤いハンカチ草が咲いていた、そしてタルチョが、峠だ。

するとアバの街が現れた、

180度全開だ!

 

川が一本流れていて、細長い平地の中心に街がありその両側を小高い山が連なっている、美しい。
この道を選んで正解だった。

こんなふうに山の上から街全体が見わたせる所は、世界中探してもそうはないだろう、普通は木々にじゃまされる。
もしアバに来ることがあったらこの山の上まで来て街を眺めてほしい。
残念ながら道がくねくね曲がるので町全体の写真は撮れなかった。

 

運転手がまたシートベルトを着けた、また検問か。ここまで二つくらい通ったが別に問題はなかった。

そして少し下ると、こんな所で私を迎えてくれる人達がいたのだった。

 

 

三人の公安だ!  つづく。