アムドの南

中国青海省東北部チベット文化圏を中心にした旅の記録です

アバの丘

 

バスターミナルは一本道のはずれにあった。
8時半ごろ荷物を引いて行ってみた。11時に最初のバスがあった。
11時のバスで「紅原」に行きたいと言うと、おばさんが紅原行きは15時だと言う。
公安に11時に出てけと言はれてる、と言ってみるが通じたのか通じないのか、15時だと言う。
よく見ると11時の便は「マルカム」行きだった、途中から反対方向に行ってしまう。
でも15時まで街をうろうろしていて公安に捕まらないだろうか、心配だがしかたない。
15時の切符を買って、荷物を売店に預け街をうろうろしに行く。

 

ターミナルの近くに小さなホテルがあり1階が茶館になっていた。
もうお茶が飲めるかと聞くと、掃除をしていたお姉さんがいいわよと言った。
ゆったりとしたソファーでお茶を飲み本を読んでるうちに寝てしまった。
あわてて起きたがまだ十分時間がある、ふと通りの裏に小高い丘があったのを思い出した。
そうだあそこに登って昼寝をしよう。ターミナルの近くで買った揚げパンを食べて丘を目指した。


道があるようなないような所を登ると、一軒の家があった、家の前にテントがあり子供たちが遊んでいた。

すると母親が食べ物を持って家を出てきた、これから昼飯らしい。

いいなあ毎日丘のテントで食事かあ、景色も最高だし。

 

少し歩くとレストランがあった、この辺りアバ地方の草原にはよくある遊牧民風レストランだ。いくつも小屋が立っていて、店員が厨房の建物から食べ物を運んでくる。

ひと組の小屋を見ていたら、最初のお盆にヤクの骨付き肉をたっぷり、それをナイフを使って食べていた、その後はスイカをたっぷりそれで終わりだった。でもうまそうだ。
中をうろうろしても店員は笑っているだけで何も言わない。
飾りのタルチョの影にシートをひいて休んだ。

      私のピクニックセット

 

アバの丘に寝ころんで考えてみた。
なぜこんなきれいで明るい街の人たちが、過激に抵抗運動を続けるのだろう。
もっと暗く生活が苦しく、生きるのがやっとのような所を想像していたのでおどろいてしまった。
むしろ衣食住が足りているような所でないと、政治的な事を考えることはできないのかもしれない。

 

店にはみんな車で来ている。

山の向こうまで点々と民家が続いている。

反対側から店を見上げる。


1時間ほど休んで丘を降りた。大道りにはいく軒も茶館がある。
またそのうちの一軒に入ってみた、一階には受付とソファーがあるだけだ、二階で休むようになってるらしい。
このソファーに座って、棚のインスタントカフェラテを飲んでもいいかと聞くと、いいと答えた。
ラテを飲みながら記録を付けていると、受付のお姉さんがのぞきこみいろいろ話をする。
じつはマルカムの人でこの店に働きに来ているらしい。
きゅうにあなたが国に帰る時私も連れてってくれない、などと言う。
僕は貧乏だからダメだよ。とまじめに答えた私も私だが、それを聞いて本当にさみしそうな顔をする彼女にはびっくりだ。
やっぱり生活は苦しいのだろうか。写真を送ってあげることにした。


ぶじ公安には会うことなく、15時発のバスでアバを離れた。