アムドの南

中国青海省東北部チベット文化圏を中心にした旅の記録です

郎木寺→合作→臨夏→蘭州

 

熟睡しているカウンターのお姉さんを起こし、朝早く郎木寺を後にした。
発展途中のような街「合作」に着く。
バスターミナルをうろうろしていると、「蘭州」行きが停まっている。
腹がへっていたので、バスの中で食べられる物を買おうとしてるうちにバスは出て行ってしまった。
パンをかじりながら、靴の修理をしている屋台などを見ながら歩いていると「臨夏」行きが来た。
乗り込んで発車を待つがなかなか出ない、そのうちまた蘭州行きが来た。
乗り替えると運転手に言うと、臨夏で乗り換えれば一緒だと言って許してくれない。
そのうち蘭州行きは出て行ってしまった。
しばらくしてやっと発車した。


臨夏は大都会だ。去年来た時は街のはずれのバスターミナルだったんだろうか、全く違う印象だ。
けっこう広い通りのまん中にバスが停まる。
運転手が、おまえは蘭州に行くんだっけなと言い、前に停まっている蘭州行きを指さし、あれだ早く行けと言われる。
何もこんな道のまん中でなくても、と思うが。
荷物がある、と言うとバスの横の戸を開け運んでくれた。通る車をよけながら。
バス代払ってないと言うと、勘違いしたらしく、乗ってから払えと言ってバスを走らせて行ってしまった。
ただで乗ってしまった。


いつの間にかバスは高速道路を走っていた。2時間くらいで蘭州の南ターミナルに到着。
バスが着くと、先をあらそってタクシー運転手が客を捕まえている。
とろとろやっている私を残して、満員になった車が次々と出ていく。
結局とろい客は遅れてきた車にむりやり乗せられたが、他に客はなく次のバスが来るまで待つことになった。
運転手が立っている客に交渉するが、乗る気がなく、結局けんかになって戻ってくる。
次のバスが来て、4人つかまえ発車。
蘭州の喧騒の中を車が走る。


予約したホテルは蘭州駅の近くだ。
運転手がここでいいだろ、あそこが駅だからと言う。
早くしろ信号赤のうちに降りろと言われ、荷物を持ってあわてて降りる。
何もこんな道のまん中で降ろさなくても、と思うがまだ客が3人もいて忙しいのだろう。
見るとホテルは目の前だった。
追い立てられながら、ついに予定よりも一日早く蘭州にやって来た。


よし、蘭州ラーメンを食いつくしてやるぞ! と意気込みチェックンしに行った。

 

 

 

オヤジとしての旅のまとめ

① 緑の丘にテントが点々とある

② 峠には必ずタルチョがアルチョ

③ マニ車に抗菌作用を施してほしいなあ、マーニー

④ お寺でたくさん見たから、チョルテンのことは少しは知っチョルテン

 

瑪曲行き

 

今日こそは「瑪曲」に行くぞとバスを待つがいくらたっても来ない。
台湾人のおばさんたちも「選部」行きを待っているが来ないのでついにタクシーに乗って行ってしまった。
3キロ先に幹線道路の入り口がある、とりあえずそこまで歩いてみる。

入り口の三差路には何人か車を待っていて、その中にいたおじさんが、「カーハイ」までバスで行って、そこで乗り合いタクシーを待てばいいと教えてくれた。
しかしバスは来ない、そのうち若い男が郎木寺から人を乗せて来て降ろした。
聞いてみると行くよと言うが、120元と言う。まあ一人で乗るなら相場か。
この男自分の車でアルバイトしているらしい。


瑪曲入口の三差路に着く、カーハイとは小さい海という意味だ。
日本であればけっこう大きな湖があった。平地に水がたまっている感じ。
観光客がけっこういるが、展望台も丘もないのでたいくつだ。

三差路で知らない女性と立って待っているとうまく二人乗れるタクシーが来た。

途中また緑の丘になり、街に着いた。
みんな降りてしまい、運転手のおばさんに、グーグルマップで印刷してきた地図を見せ、この川の端まで行きたいと言うと、少し考え走り出した。

途中に日本で見るような競馬場があった。ここでチベット人の競馬の祭りをやるのだろうか。


少し行くと砦のようなレストランがあった。そこで降り砦をくぐり遊歩道を歩いて行くと、川にぶつかった。
360度草原と川。

よく見ると向こう岸でチベット人が二人ほど馬で来てピクニックしている。あとは誰もいない。
ゆっくり休んで、コーヒーを飲んで砦に戻る。
黄河の川岸に来た時のお約束、放尿も忘れずにした。

 

砦食堂で食事をすませタクシーを待つ。店員がタクシーを呼んでやったからすぐ来るぞ、と言うがちっとも来ない。
外で待っていると椅子を運んできてくれた、いい天気だ。

昨日来れなくてがっかりだったが、昨日の雨の中、何もなく人のいないここに、一人で立ってみてもつまらなかっただろう。
そう考えればよかった、店も閉まっていただろうし。

やっと来たタクシーに乗って街で降りる。
バスターミナルは街のはずれにあった。
チケット売り場で聞くと、郎木寺行きはなく、「碌曲」行きに乗りカーハイで降りて、またタクシーを待つらしい。
瑪曲⇔郎木寺⇔選部は、なんと隔日であるらしい、今日は休み。それでいくら待っても来なかったのだ。
遊牧民もバス通勤にしてほしいなあ。
しかし郎木寺の人達も隔日のことを知らない、使わないんだろうか。 

 

 

帰り道は雨が降って来た。

バスから見たカーハイの湖。

 

カーハイで降りてタクシーを待つ。
なかなか来ない、そのうち雨が強くなってきた。

なぜか三差路にずっと止まっている左のタクシーの運転手が、入れと言ってくれる。

タクシーが通ると交渉までしてくれるが満員だ。

1時間以上待ってやっと郎木寺まで戻る車に乗った。

郎木寺はもう薄暗くなっていた。食事をして、ホテルの女の子の写真を撮って、部屋に戻った。

郎木寺散策

 

もう一つ行きたい街がある、隣りの「瑪曲」だ。郎木寺から往復できる。

泥んこターミナルから9時半にバスが出るというので、雨を避け商店の軒下に立って待っているとさっそく来た。
窓に大きく、瑪曲⇔郎木寺⇔選部とかいてある。
いそいそと乗り込んだが、3キロ先の幹線道路を標識とは別の方向に曲がる。
違う行き方もあるんだろうと思っていたら、同じ行き先を書いたバスとすれ違った。

もしかすると反対方向に乗ってしまったかも。と思ったがもう遅い。
途中で降りたところで戻る方法がない、あきらめて終点まで行ってしまった。
1時間半くらいで着いたので、折り返しに乗って戻れば行けるだろうと思ったが。
「合作」行きに乗り、途中下車だと運転手さんに言われる。
そこからまた乗り合いを見つけなければならない。その上1時間くらいたってから出発した。
これでは行って帰ってこれない今日はやめて郎木寺見学に切り替えた。

 

 

郎木寺には寺が二つある。くの字に曲がる道の右手とその先の道のはずれに。
中国人観光客がけっこうおおぜいいる、しかしみんな手前の寺を見物している。
チベットの寺はどこも似ているので先の寺までは行かない。

人を避け上の寺を見に行く。
お堂の中はどれも入れなかった、しかたなく寺をコルラする。
道もよくわからない、てきとうに裏の丘に登ってみる。
村がよく見える、静かで美しい。

途中大きなマニ車が納めてあるお堂のそばに、花が咲いていた。

もしかしてこれは、あのトリカブト? 
周りにもたくさん咲いていた。


ふと思う。

 


  もしも死にたくなったら
  郎木寺に来よう
  トリカブトを抜いて
  鳥葬の丘に登ろう
  その根をかじり
  もだえ苦しんで息絶えた僕の体を
  ハゲ鷹がついばみ
  天高く運んでくれるだろう

 

 

     喫茶店の窓から見えた鳥葬の丘と石の台

 

ぐるっと回ってまた通りに出る。
銀行があったので両替をしようと思うが、ATMが動かない、窓口に行くと下の銀行に行けと言われる。
下の銀行来る前に寄ってみたがATMはやはり動かなかった。
少し使いすぎて金が厳しくなってきている、あきらめて少しずつ使ってATMが使える街までもたそう。
と思っていると、下の銀行でATMの前に男がいる。
カードを入れるとぶじ両替できた。さっきは使えなかったのに、なんなんだよ。

 

廊下に出るたび軍人に会うのもいやだから部屋を変えた。郎木寺賓館。
その横に喫茶店がある、少し休んでホテルに戻った。

ホテルのフロントの女の子、実に容量がよくテキパキ仕事をこなす。

そして暇になるとロビーのソファーで仲間とゴロゴロしている。

唐克→若爾蓋→郎木寺

 

なぜか今風にガラス張りになっている浴槽でシャワーを浴びてから食事。

右側にガラス張りのシャワー室。

 

火鍋があったので今日もそうしようとしたら、一人で囲むには鍋が大きすぎた。
いろいろ探してるうちにいつのまにかホテルの隣の食堂にたどり着いていた。
普通の中華料理だ。ところが味付けが並ではなかった、とても上品なのだ。どこかのホテルのレストランといった感じだ。
大きめのただの青唐辛子の炒め物なのに、片面にだけ焼き色を付けて丸のまんまきれいに並べてある。
びっくりして厨房を見ると、品のいいおやじが働いていた。
もしかすると、北京辺りの高級レストランで働いていたが、コック同士の競争に疲れ田舎に越して来たのではないだろうか。

 

 

翌日は強い雨が降っていた、ホテルの隣りが乗り合いの停まっている所だ。
荷物を持たずに様子を見に行くと、また昨日の兄ちゃんが待っていた。
「若爾蓋」まで200元でどうだと言う。
周りを見渡していると、この雨じゃ一緒に行く人はいないよと言われ、しぶしぶ荷物を持ってきて乗った。


若爾蓋(ゾルゲ)の街はけっこう大きい。ターミナルに行くとバスは2時半発だった。まだ9時だ時間は十分ある。
昼ごろになって雨がやんだ、雨がやむとみんな出てきてにぎやかになった。
街を歩いて食事して茶館で休んでまた散歩してバスに乗った。

食後のチベット人も雨で少し考えている。

チベット仕様の馬。

アムドの店の看板は色が統一されている、えんじが基本。

 

 

道はまた緑のじゅうたんの丘に囲まれた道だ。テントや馬がいっぱいある。雨のおかげでみずみずしい。

 

 


ついに旅の最後の街「郎木寺」に着いた。
この街は以前から世界中のバックパッカーに愛されてきた所だ。
他の街より平地が狭く、低い山が入り組んで取り囲み、大地の懐に抱かれたような気がする不思議な所だ。
それだけにここに長居する人も多いらしい。今回もこの旅で初めて出会った白人が何組かいた。
一軒だけある喫茶店で昼間から何するでもなくぼ~っとしている人もいる。聞けばデンマーク人だと言った。


くの字に曲がる一本の坂道に、しゃれたみやげ物屋や食堂、商店が並んでいる。ユースホステルも三軒くらいある。
そして銀行がなぜか二軒もあり、気分屋のATMが置いてある。
メインの坂道は全面工事中で、雨でぐちゃぐちゃ、じつに歩きにくい。
その上手前の十字路がバスの発着所になっていた。
たぶん、前はバスターミナルであったであろう所で、軍人さん達が訓練していたので、駐留軍にのっ取られたのだ。


その近くのホテルに宿を取ったら2、3階が軍隊の宿舎になっていた。おかげで4階まで荷物を持って上らされた。
シャワーは夜8時から11時までだった。

少し休憩してから、一本の道に並ぶ店をいろいろのぞきながら歩いた。
チベット人の経営が多く感じがいい。
そんな一軒で食事をする。あこがれの青稞酒があったので飲んでみた、麦焼酎という感じだった。

支払いをしようとすると若い男が日本人かと聞く。そうだと言うと、日本人はグーだと言って親指を立てて見せた。
この街は日本人の若者もたくさん訪ねている、過去の実績だな。
今年日本人は来たかと聞くと、さっぱりだと答えた。こんな所でも日中関係が影響している。

 

ぐちゃぐちゃの夜道を、懐中電灯を頼りに宿に戻った。

唐克・九曲黄河第一湾

 

バスを2時間弱乗り、道が直角に曲がる所で降りた、「唐克」の入り口だ。ここには九曲黄河第一湾がある。

バスを降りてうろうろしていると、若い男が運転する車がすぐに来た。
成都から来た若いカップルも乗せると、客はこれだけで満足なのかすぐ走り出した。
すぐ近くの小さな「唐克」の街を通り越し、索克蔵寺の前に広がる九曲黄河第一湾まで行く。
20分弱で着く、また美しい所に来てしまった。

 

車を降り、時間もたっぷりあるからゆっくり見物しようと思ったが、荷物がじゃまだ。
どこか預ける所がないかと見ると、小さな売店がお堂の横にあった。

でも閉まっている、中をのぞいても誰もいない。と、坊主が二階の窓から顔を出す。
なんとこんな所にクリームシチューの有田似の坊主がいた。
荷物を預かってほしいのですが。と聞くと、
いいよ、そこ置いとけ。
って、ここ外ですけど、内がいいんですが。
じゃあ上がってこい。

裏に回ると二階に上がる階段があった。上ると控えの部屋があり、その奥の部屋に坊主二人と若い女性がいた。
部屋の造りはけして上等とは言えない。
三人は食後の休憩中だった、楽しそうに話をしている。

座って少し話をする。女性が中国語を話せる、通訳してくれる。
小さい寺のようだけれど、坊主は200人もいると言った。
テーブルの上に、炊いたばかりのご飯が炊飯器の中にあった。
食べるかと聞かれた、ちょうど腹がへっていたので遠慮なくうなづいた。
ご飯茶碗を棚から出し坊主がよそってくれる。
ちょっと嫌な記憶がよぎった。

 

チベットを行く旅行記はいくつかある。そのうちの一つに、太平洋戦争末期にモンゴル僧に変装してラサまで旅した、西川一二三さんの本がある。
絶版なので古本しかないが、厚い文庫本で三冊になっている。
その西川さんが旅の途中一つのテントを訪れる、おばあさんがバター茶をごちそうしてくれる。あいにくその日は碗を持ち忘れていた。
おばあさんは棚から碗を取り出し、なんと唾をふきかけ、鼻汁がこびりつきガバガバの長い服の袖でふいてから入れてくれたそうだ。
外国人だとばれるわけにはいかない西川さんは無理してお茶を飲んだらしい。

 

しかしここの坊主はちゃんとふきんで拭いてくれた。若干よごれていたけれど。
ご飯の上に肉と白菜を炒めたおかずをのせてくれる。
この坊主すごく料理がうまい、味付けがばっちりだった。
なんだかこの部屋は、まったりとした時間が流れている。東京と比べたら約10倍くらい時間が長く感じる。

      料理のうまい坊主

      有田似の坊主

 

そんな部屋を後にして見物する。

黄河が西、「達日」方向から流れてきて、寺のある丘にぶつかり二手に分かれる。

平原をたくさん蛇行して流れている、それを寺の上の丘から眺められる、きれいだ。

本流は右に流れて曲什安へ、左は紅原方向に流れていく。

成都辺りからの観光客がたくさん来ていて、途中までできている遊歩道の上を歩いている。

 

鉄線が張られていたが簡単にこぐれたので、人のいない所を選びポットのコーヒーを飲んだ。
なんだかとても気持ちがいい、遠くまで見えるゆっくりいくつにも蛇行している川のせいだろうか。

丘の上のタルチョ、今までの地方とは形が少しちっがう。

マーモット(?)の巣、少しメタボだ。

 

丘を降りるとゴンパの全景が見えた、コルラする道がきちんとできている。しかし高度のせいでもう一度ぐるりと回る元気がない。

コルラ用のマニ車の道が廻っていた。

いくつかお堂を見て回った。
川岸まで行って、記念にオシッコをした

 

そろそろ帰ろうと思ったが、ここには乗り合いはないと言う。
こまった、歩くことにしようか、遠く街が見える1時間もあれば着くだろう。
さっきの坊主の部屋を訪れ荷物を持ち出す。あいにく二人はいなかった、10元だけ机の上に置いておいた。


街までの道には遊牧民風食堂と小さな牧場がある。やさしい馬が何頭かいて観光客を乗せてそのへんを歩く。
それを仲間が一生懸命カメラで写す、中国人も本当に写真が好きだ。大繁盛らしくそこいらじゅうに牧場がある。
30分も歩くとさすがに飽きてきた、車が通らないかなあと思っていると、反対側を走ってきた運転手が声をかける、さっきの兄ちゃんだ。
いいタイミングだ、旅をしているとよくこういうことがある、道がわからなくなったり歩き疲れているとどこからともなく車がやってくる。

街の賓館に連れてってくれた、一番いいとこらしい。
九曲黄河第一湾の観光料をもらってないと言われ、車代30元の他に50元とられた。10元まけてくれた。
まだ明るかったので街を見てから、茶館に入って窓から外を見ていた。
ここもたくさんの男たちが民族衣装を着てバイクに乗って街に来て買い物をして帰って行く。
街の周りにたくさんの遊牧民が住んでいるのだろう。
ホテルは思ったよりよかった。