アムドの南

中国青海省東北部チベット文化圏を中心にした旅の記録です

一、不幸は向こうからやって来る

 
アムドには去年も行った。チベット・ラサのデブン寺のショトン祭を見た帰り、「マトゥ」に行ってみたくて西寧の旅行社を訪ねてみた。もう手持ちの現金があまりないのだけれど行けるだろうかとたずねると、クレジットカードがあれば大丈夫、中国銀行のATMで簡単に下ろせるからということだった。
 
社員に案内されて近くの中国銀行に行ってみると日本語の案内まで付いていて確かに簡単だった。これはいい、これなら日本円を持ってきて銀行やホテルのフロントでいちいち両替しないで済む、そのうえATMは24時間使える。
 
全行程分の現金を少しずつ両替しながら、安全に最後まで持ち運ぶのはそれなりに神経を使う、これで旅の苦労の一つが解決したことになる、来年からはCカード一枚だ。
 
そして、チベット人とくにマトゥの人々の人なつっこさと、どこまでも続く荒涼とした大地にすっかり魅せられた僕は、今年もアムドを訪ねることに決めた。

 


    ラプラン寺のお堂に飾られていたタルチョ
 
行くことは決めたのだけれど計画を立ててもなかなかのってこない、何となく嫌な気分なのだ、ここのところ金運に見放されていて、少なくなった貯金をそんなに使ってまで無理して行くこともないのではないかなどと思ってしまう。どうしてだろう…?
 
しかし中国国内を一人、バスを乗り継いで旅して回るにはそろそろ年齢的に限界に近い、今行かなければこのまま行けないことになる、チベットは興味深く楽しい、がんばって行く価値はある、そう思い込ませて嫌な気分を抑え出発した。
 
西安までの往復は日本の旅行社の格安航空券を買った、西安から西寧は行きは飛行機、帰りは列車を中国の旅行社に頼んだ。
 
安い航空券を手配してくれたが支払いが少し不安だった。クレジットカードの番号そして裏にある3ケタの数字もパスワードもなくオープンで旅行社に送ったのだ。旅行社の担当者は大丈夫だというし、2回ほど旅行の手配を頼んだことがあり信用はしているが、どこかで他人にもれたりしないのか心配になった。
 
それで紛失したことにしてカード番号を変えることにした。しかし新しいカードは出発までには届かなかった。しかたなくもう1枚のVISAカードを持って出かけた。しかしこのカードは日常ほとんど使っていないうえ契約時の内容を全く忘れてしまい不安が残った。
 
成田から上海は無事に着いた、2時間余り待ってから西安行きに乗るはずが、なかなか飛行機がやってこない、ついに乗客に弁当が配られ遅延は決定的となった。このままでは西安で西寧への飛行機に乗り継ぎができなくなってしまう。
 
登機口のお姉さんに聞いてみるが取り合ってくれない。日本人の団体を引き連れていたガイドさんに訪ねてみたがよくわからない。結局ガイドさんのなるべく近くにいるようにして様子をうかがっていると、やっと4時間くらいたって乗降が始まった。結局夜中の2時頃西安に着いた。
 
空港は業務終了でタクシーの呼び込みくらいしかいない、乗務員に遅延証明をくれといったが困った顔をしているだけだった。空港で夜を明かそうとも思ったが、昔泊まったことのある近くのホテルまで行ってみた。
 
部屋はあった、500元。Cカードは無事に使えた。しかし中国人はすぐに人の足元を見る、300元の部屋も空いているくせに。こういう時こそ交渉しなければといつも思うのに、悲しいかな日本人、値段を言われるとずぐそれに応じてしまい、後で気づいて頭にくる。
 
それなりに疲れたのでシャワーを浴び休んだ。嫌な予感は飛行機の遅延だったのか、でもなんとかなったからまあいいか、明日無事に飛行機に乗れるだろうかなどと思いつつ…。しかしひとつ気にかかることがあった、時間があった上海の空港に中国銀行のATMがあったので使ってみると、暗証番号が違うと表示され使えなかったことだ…。
 
中国では遅延や乗り遅れなどには日本ほどうるさくないようだ。翌朝航空会社のカウンターに行くと、簡単に一時間後くらいで出発するほかの航空会社の便の航空券をくれた。昔中国で列車に乗り遅れた時も、切符売り場に行ってみると簡単に次の列車の切符に変えてくれた、いつもは何かとギャアギャアうるさいのに。
 
何度か中国を旅してみて、何かとギャアギャアうるさいのは、中国人が実は世話好きで何かいわなければ気が済まないたちだからではないかと思えてきた。常に自己を主張している中国人は、よく気がつく自分を自慢したくて大きい声でいろいろいうのではないかと、それが日本人には怒鳴られ注意されているように聞こえるのではないかと…。


    桑科草原の丘に群れる羊
 
ぶじに西寧に着き、ホテルに行く前にまず中国銀行に行ってみた、Cカードの不安を消すために。しかしATMは上海の空港と同じ反応を見せた、困ってしまいいろいろやっていると、へんな男が何かいう、よく見ると銀行員のようだ。つたない中国語でいってみると通じたみたいで、自分で試してみたり電話して聞いてみたりしていた。しかしうまくいかない、彼は暗証番号は4ケタではなく6ケタでないとだめだという。
 
あきらめるわけにはいかない、金が下りなければ手持ちの現金はなく僕はどこへも行けなくなってしまう。そのようなことをいってみると、中国に友達はいないのかと聞いてきた。いない、しかし明日にでも初めて訪ねようとしていた旅行会社の社長は日本語がペラペラのはずだ、社長の携帯の番号を見せると、電話してくれた。
 
旅行社の社長が通訳してくれて、明日本店に行って窓口で手続きすればできるはずだとわかった。ついでに旅行社には明日の昼ごろ訪ねることにした。本店の場所を教えてもらい、少し不安を残して銀行を後にした。
 
金もないからホテルにも泊まれない、しかたなく予約していたホテルに行ってみる、予約した日は昨日にもかかわらず、ここでも予約票を見せると簡単に泊めてくれた。
 
遅延したお詫びに航空会社がくれた200元を持ってホテル近くの店でビールと飯を食ってから、部屋に戻りテレビを見ながらうとうとした。気がつくと0時を過ぎていた、何となく嫌な気分で目が覚めたのだ、明日になればすべて解決だと思っているのに…。
 
本店に行く。今度は女性社員が親切に応対してくれたが、嫌な気分通りとなった。明日来ればうまくいくかもしれないと言う、よく考えると今日は日曜だった。明日こそうまくいくように、そう願いながら旅行社に向かった。
 
旅行社には社長のグリさんと若い社員ツェリンがいた。カードのことを話すと、西寧は中国の西の端だから機械が悪いんですよ、明日月曜ならうまくいきますよ、それにダメなら会社で貸しますよと言ってくれた。少し安心してアムドめぐりの計画を話し、旅行社にお願いする部分の予算を聞いてみた。
 
アムニェ・マチェンとマトゥを4日間でめぐって15万円だという。低予算の旅行としては15万はいたい、困っていると、では4WDをやめ普通の車で回り、ガイドもなしで10万はどうですかと聞いてきた。予算は8万だからまあいいか、金のことで迷惑かけたし、ということでOKした。
 
今の中国はガソリンが値上がりして日本と変わらないくらいになっているし、整備された道路はやたらと通行料をとられる、けしてふっかけているわけではないらしい。
 
前の4日間は一人でバスを乗り継いで回り、西寧に戻ってきてツェリン君が運転してまた出かけることにした。支払いは明日の銀行の結果を社長に電話して決めることとなった。
 
今日を過ごすお金がないでしょう、私が個人的に500元貸しましょう。グリさんがそういってくれた、助かった。しかしいくら最悪の場合お金を貸してくれるとはいえ、そんなにまでして旅を続ける必要があるだろうか、ますます気分は暗くなっていった。
 
今日必要な物だけをデイバックに入れ、荷物を西寧駅近くの明日出発する予定のバスターミナルに預けようと旅行社を後にした。しかし西寧駅行きのバスは駅からずいぶん離れた所で終点となった。駅の方角に向かって荷物を引いて歩き出したが、1時間近く歩いてもそれらしいとこに着かない、おまけに道はガタガタだ。なんだか絶望的な気分になっていく…。
 
駅は建て替え中で周りの建物も取り壊されて、周辺は大工事現場となっていた、完成するまではあと3年はかかるだろうといわれている。きっとまた中国らしい大げさで人にやさしくない駅ができることだろう。
 
なんとか荷物預かり所の閉店に間に合った。またバスに乗り街の中心で降り、180元で泊まれるホテルに向かった。昨日予約したホテルに行く前に訪ねてみたホテルだ。今日は現金を持っているから泊まれたが、昨日はカードのせいで断られた。こんなせこいホテルにまで拒否されるなんて…。

 


 峠には必ずタルチョが飾られている、日本のしめ縄のように
 
夜が明けてこれでだめなら終わりだと思いながら銀行に向かった、今日はそんな嫌な気分ではないがと思いつつ…。昨日と同じ女性社員を見つけいろいろやってもらうがやっぱりうまくいかなかった。すぐにあきらめグリさんに電話した、ついにお金を借りることとなった。
 
もうやめよう、お金が借りられたらその金で航空券を予約してもらい、旅行をあきらめて日本に帰ろうと決意し旅行社に向かった。
 
旅行社は日本の三井住友に口座を持っていて、まずそこに日本円を振り込んでもらわないと会社として貸すことはできないと言われた。日本に電話し、振り込め詐欺ではないかと疑う姉を説得し銀行に行って20万円振り込んでもらった。パソコン上にはすぐに振り込みを確認した表示が出て20万円分の元をもらった。ずいぶんと便利になったものだ。
 
なんだかホッとした、と同時にべつに旅行を取りやめなくてもいいかという気分になった。もう払い込んである帰りの航空券も帰国前の日のホテルの予約も無駄になるし…。あれだけ暗かったのに…コロッと変わった。
 
そう思って、もう旅行をやめて帰るつもりだったとグリさんに告げると、それはもったいないここまで来て帰るなんて、ぜひ続けるべきだ。別に悪い事件が起きたわけではなく、あなたのちょっとした不注意のせいなのだから、もう一つ別にドル建てとか中国銀連のカードを用意しておけば問題なかったでしょうと言われた。
 
グリさんの話は続いた「あなたはまだ運がいいですよ」私に会えたのだから、中国人の旅行社ならこんなことはしてくれませんよ。そうか、もし旅行社が日本の銀行に口座を持ってなかったら、パソコン上に表示できるように契約していなかったら、そしてこの旅行社を知らなかったら僕はものすごい苦労をすることになっただろう…ありがとう。
 
そしてこの「あなたはまだ運がいいですよ」という言葉が僕を勇気づけてくれた。東北に震災があった頃からだろうか、何かと運の悪いことが続き気分が重く、ふと思い出すことは昔の嫌なことばかりだ。そのうえ老後用に貯めておいた金がなんとなく減っていく。理由もわからずなんだか本当につらかった。
 
ところがこの一言が旅行のことだけではなく、自分のことすべてに対して言ってくれてるような気がして急に気分が晴れたのだ。
 
そうだやっぱり旅を続けよう、今出れば「臨夏」経由で「夏河」にたどり着けるはずだ。グリさんにもらったお金のうち3000元を持ち、残りは旅行社の金庫に預かってもらい、お礼もそこそこに旅行社を飛び出したのだった。