アムドの南

中国青海省東北部チベット文化圏を中心にした旅の記録です

二、「チョデム」で切りかえす

 

その前にまず腹ごしらえだ、すっかりごきげんになってしまった僕はビールで乾杯することにした。しかし西寧でよく冷えたビールを出す店を探すのは難しい。冷たい酒を飲むことは体に悪いと信じてきた中国人だがこの頃はどこでも出るようになってきた、西のはて敦煌でも、その先のウイグルでも。しかし西寧はやはり中国の違うルートの西の端なのだまだ常識にはなっていない。ちなみにラサは冷たい。
 
そこで街の中心にあった日本系列のラーメン屋に入ってみた。あった、それもキリンの大瓶。料理の値段が少し高いせいかデートに使う若者が多い、そんな彼らに囲まれて食事を済ますと、バスターミナルに向かった。
 
残念ながら今日はもう「臨夏」行きのバスはなかった、あきらめて明日の「合作」行きを買った。しかし切符を手にターミナルを出てくると、臨夏、臨夏と叫んでいる男がいた、乗り合いタクシーの呼び込みだ。値段を聞くと100元だという、合作行きバスでも40元はする、高くはないだろう。切符を払い戻し、預けた荷物を持ってそのタクシーに乗り込んだ。
 
よかった、この調子だと予定した通りに回れるかもしれない。運転手は中国人、けっこういい車だ。一人乗っていて僕で二人目。少したつとやって来た、民族服を着たチベット人が二人、一人はチベット人らしい笑顔をいっぱい浮かべている。走り出すと買いこんできた食べ物を出して食べろと勧めてきた。なんだか楽しくなる、幸先いいぞ。
 
途中峠を越えるころ、高度が上がったのと曲がりくねった道、そして運転手がよく吸うたばこの煙のせいで頭がいたくなり吐きそうになった、もうがまんの限界だというところで臨夏の町中にたどり着いた、4時間くらいだった。
 
バスターミナルで降りたが入口のドアは閉まっていた、今日は「夏河」には行けそうにない。後で分かったのだがターミナルはもう一つあるみたいだ、そこに行けば乗り合いタクシーがあったかもしれない。
 
ガイドブックのコピーをとりだし宿を探す、しばらく歩くと臨夏賓館があった。今日はここで一泊だ。荷物をほどいてからもう一度バスターミナルに行ってみた、明日のバスの時間を確かめるためだ。しかし入口のドアは固く閉じているし、付近の店で聞いてみてもわからない、しかたない明日は早めに起きて来てみよう。
 
帰り道でパンと缶ビールを買って帰る、こんなところでもけっこう食える菓子パンを売っていた、しかしビールは冷えていなかった。
 
 
   夏河の丘の左手、こんな所でオヤジが犬と

   一緒に住んでいる、坊主がピクニックしている
 
翌日は早く起きてバスターミルに行ってみた。しかしバスはない、え、そんな…。困った顔をしているとお姉さんがタクシーに乗せてくれて運転手に何か言っていた。まさかこのまま夏河へ、ではなかった、少し行くと乗り合いバスが何台か待っていた。夏河行きに乗り込み、揚げパンを買って食べながら出発を待った。
 
夏河までの一本道は前来た時より工事が多く、開発が進んでいるようだ、前回は美しい川沿いの風景が続いていたが…。そのまま道の両側にホテルや商店が立ち並び夏河の町ができている、手前にバスターミナルがあり一番端にラプラン寺がある。
 
   夏河のホテル、中庭で食事もできる
 
薄く雨の降るなかホテルを探しながら一本道を歩いた。道に面した門をくぐると中庭を囲んでチベット風の装飾を施した三階建のホテルがあった、予定していたホテルではないがチベット人の職員も感じよく、ここに決めることにした。家族全員で経営しているみたいだ、宝馬賓館。部屋もいい感じで220元で泊まれた。
 
マニ車を回してコルラする人を見ながら冷えたビールと焼きそばを食った。夏河は町全体が何ともいえない優しさに包まれている、門前町のせいか…。コーヒーも飲みたくなった、調子が良くなった証拠だ。僕もコルラをしようと席を立った。
 
寺を見学したがあまり面白くないので大タンカがかかげられる丘に登って寺の全景を見ていた、そこへ高そうなカメラを抱えた中国人たちがやってきて撮影を始めた。そして僕に気づくと話しかけてきた、へえー日本人、やさしく笑う。好いカメラですね、僕もお世辞をいっておいた。南京から来ていた。
 
彼らはもう一度ホテルの前で会った時も笑顔で話しかけてきた。今まで中国を旅していても、向こうから話しかけてくることなどめったになかった。中国も変わったものだ、生活に余裕ができたせいか…。
 
丘には日本と同じようないろんな野草が咲いていた。丘を下りコルラを始めた。今回の旅行はできるだけコルラするつもりで来た、いいところに生まれ変れるように…。
 
ホテルに戻ってインスタントコーヒーを入れ、中庭の椅子に座って本を読んだ。しばらくしてどこからともなく男の子がやってきて遊んだ、フロントの女性の子供だった。写真をとり送ってあげることにした。
 
その女性の兄らしき人が荷物を運んだり掃除したりよく働く、そして会うたびに笑顔を返してくる。だから好きなんだ中国人よりチベット人の方が、だいち中国人はこんなにまじめに働かない。


   バスはいろいろな所で家畜の群れにじゃまされる
 
朝早くホテルに別れを告げ、バスに乗り「同仁」に向かう。早く切符を買ったので一番前だ。この頃は席の番号も守るし、禁煙もきちんとしてきた。昔は禁煙車と書いてあっても、運転手も車掌も吸っていた。

   桑科草原の道、次々と現れるみどりの丘
 
桑科高原、ここも美しい所ですよ、社長の言葉を思い出す。草に覆われた小さな丘が続く。隣に座った青年も僕も一生懸命カメラのシャッターを押す。途中通過するいくつかの小さな村は、へんな店もなく人も少なくひっそりとたたずんでいる。
 
空気が澄んでいるように思う、緑が美しくみずみずしい。草原とアムドらしい山の風景が交互に現れる。同仁へ向かうバスが毎日通るようになったのはそんな昔ではないかもしれない。絶対に穴場だ、今のうちだ。草原でキャンプしてみたくなる。
 
4時間くらいで同仁に着いた。バスを降りて青年に聞いてみた君も旅行中かと、そうだ南京から来たという。また南京人だ、穏やかな青年だった。 僕が日本人だとわかると愛してますといった、何をいってんだか、よく聞くと愛しているのは日本だった、そしてまんがとアニメ。大学で動画を習っているという、将来はアニメーターだ。アニメの話をしたがいかんせん私の年では…、一番好きなのはエバです、それくらいは知っていた。
 
何を思ったか一緒に隆務寺を見学しようと言いだした。その前にホテルだ。バスターミナル付近にいくつかあるが外国人は泊まれない、あっちへ行ったりまた戻ったり青年がいて助かった。やっと泊まれるホテルが見つかった、あまりきれいではない。
 
荷物を置いてさっそく二人で見物、しかしあまり面白くない。お寺や仏像を見るよりチベット人の巡礼者を見ている方が楽しい。会話も途切れがちで、早めに切り上げ飯を食って別れた。彼はこれから西寧に行く。チベットのお寺はね、チケットなんか買わずにまぎれこんでしまえばいいんですよ、そういっていた。確かににそうかも、監視人もいないし囲んである塀もない。若いな。
 
疲れたのでホテルに戻り休む。本当は今日ゆっくり寺を見物して、明日タンカで有名な村を訪ねるつもりだった。でもこの調子なら午後全部回れそうだ、よしそうしようそうすれば予定していた町にみんな行けるかもしれない。
 


   大チョルテンと夏空
 
少し休んでからタクシーで吾屯上庄へ、案内板がないのでよくわからない。吾屯下庄へ行ってみる。その間の道や周りにタンカを描いて販売している家がある、のぞいてみるが僕にはタンカはみな同じに見える、きれいな物もあるが買ったところで軽率には飾れないだろう。青年の忠告に従い、ただで寺を見物しようとしたら呼びとめられたのでやめた。
 
川を挟んだ向こう側にゴマル・ゴンパがあるはずだ、かなりかかるが行ってみよう。そう決めて歩き出した、車の通る道だからあまり面白くない。45分ぐらい歩くと小さな橋のかかった小道が見えてきた、左に曲がって寺にあるという大チョルテン目指して進む。
 
   橋の上から、黄濁して流れる黄河の支流
 
よく見ると少し低くなった林の中に人がいる、それも大勢、ほとんどがチベット人の女性だ、草に座って話をしている、ピクニックか…。横の道を歩いて行くと僕をじっと見る人が何人かいた。
 
チベット語でこんにちはは「タシデレ」でもこれはラサ語だ。アムド語は「チョデム」だと夏河のホテルで教わった。ムの母音を発音しないのでチョデモとも聞こえる。ちなみにアムドのムも同じで、本によってはアンドーと表記してあるものもある。
 
去年マトゥを訪ねたとき、道行くチベット人と目が合うとニコッと笑い、なんだか変な気分だった。しかしそれは中国人と同じで挨拶しないチベット人にとって、見知らぬ人に対する挨拶がわりなのだろうと気づき、それからは同じようにニコッとすることにした。でもなんか変な気がする。
 
それでチベット人の熱い視線や笑顔に出会ったときは「チョデム」と言ってかわすことにした。ピクニック中の女性たちも「うん、チョデム」と言って答えてくれた。
 
畑の中の道をしばらく行くと舗装された道に出た、新しく車の通れる道を造ったのだ。そして丘を登ると大チョルテンがあった。人がほとんどいず静かなゴンパだ、建物の間の道もきれいに整備されゴミもない。
 
さっきまで仲間と大きな声で話していたおばさんがコルラを始めた。僕も回ろう、おばさんがこっちだと教えてくれた。あっという間におばさんにおいていかれる。コルラ道はそんなに長くはなかった。おばさんは3周、僕は1周そう手で示すと、それでいいとおばさんに認めてもらえた。一時間半くらい歩いて来たかいがあった。
 
このまま帰りも歩いて行こう、そう決めて歩き出したが雨が降ってきた。アムドの夏は雨季だ、毎日午後遅くなると雨が降り出す。今日も朝は暑い日差しが照りつけていたのに、どこからともなく雲が集まってきて雨になる。しかし2時間もするとやんでしまうのだ。折りたたみ傘は必需品だ、しかしフード付きのウインドブレイカーがあればしのげる雨でもある。
 
夜の間降り続いていることもあるらしい、たくさん降るといたるところで土砂崩れが起きる、規模は小さいのだが通行止めになってしまう。去年来た時は、「沢庫」と「興海」の二か所で通行止めにあいルート変更した。ある程度余裕をもった計画を立てる必要がある。
 
車が通れるようになった道は退屈だった。やはり一時間半くらいかかった。ホテルでシャーワーを浴び帰り道で見つけた食堂に行ってみた。チベット人が経営していた。日本人だとわかるとみんなで見に来た、オヤジたちが何かいっている、感想を述べ合ってるみたいだ。
 
お店が暇なせいで二人の女性店員がいろいろ話しかけてくる、分かりにくいところは筆談で。簡単な中国語とかたことのチベット語をしゃべれることに感動してくれた、てれるな。ここでもチベット人の人なつっこさに心がなごむ。

 
   草原続く沢庫の道
 
翌日沢庫に向かう、バスターミナルに行くとやはりバスはない。すぐ近くの空き地にバスが止まっていてそこから出発する。少し小さいがチベット人がどんどん乗ってくる。やっと念願の沢庫の大草原が見られる…。
 
沢庫は広い道が十字になっていてその両側に店が並んでいる、思ったより小さな町だ。何をしているんだろう人がいっぱいいて殺気立っている、チベット人だか中国人だかもよくわからない。チベット人から見るとすぐに見分けがつくというが、同じ服を着ていると僕には無理だ。
 
3時間くらいで着いたので、運転手に「同徳」に行きたいと言うと、あの男が行くからついて行けと言われた。ニコニコしたチベット人の後をほかのオヤジとついて行く、交渉がまとまったみたいで6人乗りくらいの車に乗り込む。
 
6人そろったのにへんな坊主がやってきた、足が悪そうで松葉づえをついている、そのうえやけにでかく、服をマントのようにはおっている、顔は真っ黒だ、まんがに出てくる気持ちの悪い魔術師のようだ。前に座っていた男が僕らの席の間に座り、坊主に席をゆずった。徳のある坊主なのだろうか乗客のみんなはけっこう尊敬しているようだ。
 
走り出すと坊主がよくしゃべる、さすが話が得意なようだ。隣の女性がいろいろ質問したりうなづいたりしている。道が峠にさしかかると、隣の男が窓を開け小さな紙の束をまいた、坊主がお経を唱えている。チベット人ばかりと乗り合わせて走る車、確かに望んでいたことだがディープすぎる。
 
     おしゃべり妖怪ラマー
 
小さな村落について男が一人降りていく。次の村落に着くと車が村の中に入っていく、一軒の家の前に着くと年寄り夫婦が出て来て坊主を迎えた。親族かそれともお経をあげに来たのか。写真をとっていいかと聞くと笑顔でポーズをとった、なんだ妖怪ではなかった。
 
沢庫の草原は確かに広い、同徳までも続いている。しかし沢庫は交通の中継地のような感じで車がたくさん通る、そのせいか草原が汚れて見える。桑科高原を見た後では感動は少ない。草原はどこでもそうだが鉄条網で囲われていて中には入れない、その土地を使う遊牧民の生活を守るためらしい。
 
しばらく行くとT字路に着き車を乗り換える。同徳に着く、沢庫より大きく町らしくはなっている。まだ2時頃だこれなら「興海」まで行けそうだ、3時半発のバスが今度はターミナルにあった。
 
一応タクシー運転手に聞いてみる、100元で行くという。セルゾン・ゴンパに行きたければ興海についてからだ、もう100元。ゴンパ経由で行ってくれればすごくいいのに。それならバスにしようと飯を食いに行く。ゴンパよりその周りの風景が見たかったのに、でもそれに似た風景はずいぶん見たからいいか。
 
バスは日差しが強く暑い、そのうえ狭く音楽がかけてありうるさい。景色を楽しむなら100元くらい出しても貸切タクシーの方がいいかもしれない。しかし目線が低くなる欠点もある。
 

   興海に向かう道、この辺は緑が多い
 
西寧・玉樹間を走る214号線に近いせいか興海は中国人が多い気がする。やっと見つけた興海賓館の女性職員もみんな中国人らしい、建物は立派だが街のはずれにあり、泊まる人も少ないのかみんな暇そうにしている。何を聞いても嫌そうな顔をしてろくに答えてくれない。
 
なぜ中国人はあんなやな顔をするのだろう、特に一部の働く女性はどこへ行ってもそうだ。好い気分で旅行していてもあの顔に出会うとすべてが台無しになる。どこにでもタンをはかない、きちんと並ぶなどの改革の一つに、日本人ほど愛想良くしなくてもいいから嫌な顔をしないという項目も入れてほしい。
 
明日は西寧に帰る日だ、予定していた町はすべて回れた、お祝いに白酒をカメで売っていた店で、ペットボトル半分くらい売ってもらいホテルで飲んだ。残念ながら僕には白酒は強すぎて飲めない、道で売っていたキュウリとトマトとモモと慢頭だけでがまんした。
 
西寧行きのバスは街の真ん中あたりにとまっていた。「共和」で一度降り、食事して西寧に向かおうと共和行きを待つがちっとも来ない。西寧行きが出そうになったのであきらめて飛び乗ると、共和行きがゆっくりとやって来た、もう遅い。しかしこれでよかった西寧には思ったより早く着けたのだ。
 
高速から見る西寧の町は高層ビルが立ち並び美しく、都会の香りがする。下を歩くとあまりきれいとはいえないが。乗客の幾人かは初めてなのか茫然と見つめている。
 
約束通り社長に電話する。明日の出発時間を決めるためだ。8時に会社に行くことになった、そこでツェリン君が車を用意して待っていてくれる。明日からは違うルートでまた旅が続く、今日までと同じようにうまくいきますように…。