アムドの南

中国青海省東北部チベット文化圏を中心にした旅の記録です

三、トイレは24hどこでもOK

 

電話を終えてもまだ2時頃だ、そうだCカード騒ぎで行けなかったタール寺へ行こう。「湟中」へは頻繁にバスが出ている1時間もかからない。この寺は西寧から近く、高度順応や日程の調整もあるのだろう観光中の中国人であふれかえっている、おまけに入口は厳重でまぎれこめない。しかたなく80元払う。少し高いと思うけどな。
 
中国人を避けてコルラする、けっこう長くいい運動になる。物静かにコルラする若い坊主と前後して歩く。写真をとらしてくれと言うと優しく断られた。
 
チョルテンが並ぶ夕方の広場でポットに入れたコーヒーを飲みながら休む。太平洋戦争の末期に、ああここで西川さんや木村さんがモンゴル人になりすまし、ラサまで行く途中に滞在したかと思うと感慨深い。その頃はどんなだったのだろう…。
 
翌日40分も遅れて会社に着く。会社は西寧の東の端、金をケチってバスで行こうとしたが乗り場を忘れてしまいかなり迷った。
 
西寧は一回1元でバスに乗れる、ありがたい。しかしバスはたくさん通る、同時にバスが着くと停留所のあちこちに止まるので、自分の乗る番号のバス目指して突進しなければならない。ぼやぼやしてると簡単に置いていかれる。降りる時も必死だ、ドアが開いたらすぐ降りないとすぐ閉まる、年寄りだろうが関係ない、厳しいのだ。
 
そのうえ1元を持たずに乗ることはできない、10元など見せようものなら、何やってんのよどこかで両替して来なさいよ!と、運転手のおばさんにどなられる、オーコワ。みんなICカードを持っていて、機械にタッチしてすばやく乗り込んでくる。女性はバックごとタッチするのがおしゃれだ。

 

  アイリスだろうか、乾いた大地に咲いている


西寧でガソリンを入れてから、昨日来た道を戻る、興海の先まで行く。ツェリンのふるさとである「倒淌河」で止まりどこかに電話した。友達だろうか大きなトラックが現れ、柄の長いスコップをもらう、何に使うんだろう。
 
この道は去年も往復した。まっすぐな一本道のように記憶していたが、興海に入る道を過ぎたあたりから曲がりくねっていて、高度もだんだん高くなる。西寧から400kあたりで高度4500mに達する。運転手もつかれたので休憩。
 

  おしゃれなツェリン君、標高4500mでポーズ
ずーっと草に覆われた丘がいくつも続いている、ほとんど木は生えていない、遊牧民のテントも多い。この道が好きだな、二階建てのバスの天井をガラス張りにして走ったら…などと考えてしまう。
 
もう一度タルチョはためく峠を越えてから、「下大武」に向かう細い舗装されていない道に入る。少し行くと川が道をさえぎっている。スコップはこのために必要だったのだ。ツェリンがスコップで水の深さを測り大丈夫そうなのでそのまま渡る。
 
よく見ていないとどこが道だかわからないようなところを行く、シートベルトを着けないととても乗ってられない。若いツェリン君は張り切って飛ばす。気がつくと両側の地面に穴がいっぱいあいていて、ナキウサギらしき生き物が住んでいる。車が通ると一斉に穴に潜る。この辺りからは飽きるくらい見られる。
 
途中で道にレンガが積んであり、よけたところでぬかるみに突っ込む、スコップの出番だ。石を運んでタイヤの下に置くがいくらやっても抜け出せない。近くにいた男五人に押してもらいやっと抜け出す。自分たちでレンガを置いたはずなのに、ツェリンは一人10元ずつ払っていた。中国人らしい。

 


  下大武の村、なかなかシブイ
 
2時間くらい走り下大武の村に着く、チベット人の村だ。6時を過ぎている、食事だ。本当に田舎の食堂という感じの暗い店で麺を食べる。村の真ん中は大きな水たまりになっている、土を運んで水たまりを埋め生活しやすくする気もないみたいだ。それだけよく雨が降るということなのか。
 
村から少し離れた家に泊まるはずがなかなか着かない、道を間違えたようだ。引き返すと村のすぐ近くにその家はあった。旅行社が契約している家だ。がっちりした男が迎えてくれた、他に人はいないみたいだ。明日はこの男の4WDに乗り換えてアムニェ・マチェンの近くまで行く。ここから先は普通の車では無理らしい。


  村長の家、なぜ三軒もあるのだろう、

  誰もいそうもなかったが

四角い家は前面が廊下のようになっていて、その後ろの部屋に椅子やテーブルがあり、周りは仏壇や食器棚で囲まれている、なぜか歴代の中国国家元首の大きな写真が壁に並んでいた。真ん中にストーブがあり床は土だ。ベッドは廊下のような所の両端に置いてある。家の周りに庭があって塀で囲んであり、その外に番犬、ばかでかいチベット犬がにらみをきかしている。そんな家がここでは三軒並んでいる。ただし犬は一頭で十分だ。
 
  村長の家を守るチベット犬、

  横を向いたところを写したいのにカメラを向けると

  こちらを向いて吠えまくる

オヤジがストーブに何かくべようとしている。あ、ヤクの糞だ、これか、思わず感激して手を伸ばすとオヤジに払われた。ツェリンが落ちたやつを渡してくれた、小石くらいになっていて炭のような色をしている臭いはない。
 
昔から気になっていたんだ、いくら乾燥しているとはいえ臭くはないのかと。部屋の真ん中で燃やしたり料理して大丈夫なのかと。そして今日全く問題がないことが分かった。さわろうとしてオヤジに怒られたのは、神様に祈りをささげた後のものだから軽々しくさわってはいけないのだと分かった。ついでに仏壇などにもさわるなと言われた。
 
ツェリンとオヤジはいろいろ話している、ツェリンはチベット人に会うとうれしそうだ。テーブルに少し乾いたパンが皿にたくさん置かれている。バターを置いてくれて食べろという、けっこううまい、オヤジがお茶をいれてくれた。
 
ミルクティーだと言う、バター茶じゃないのか、プーアール茶にヤクのミルクを入れたものか…、よくわからないが日本のミルクティーより軽い感じでいくらでも飲める。このお茶に乾いたパンをつけるととても軟らかくなり食べやすい。ツェリンに聞くとアムドではミルクティーなのだそうだ。
 
チベット人の家に来てバター茶じゃないなんて少し不思議な気がして、パンにのってたバターを入れて飲んでみた。パンにぬるとうまいのにお茶に入れるとあまりうまくない。しかしこれが後で悲劇となった。
 
もう寝ろといわれて、話すこともない僕は隣の家へ連れて行かれる。いつの間にか降り出した雨の中懐中電灯を頼りに。こちらの家も同じ構造になっていて廊下の端のベットに眠ることになった、家の電気はないのかつけないのか、僕も懐中電灯を持っていてよかった。二人はまだ話があるらしい、一人残され僕は軽く着替えて布団に入った。
 
まだ10時前だとても寝れない。そうだ吹き込んできたマーラーの曲を聴こう。僕は思う、チベット鉄道などに乗り荒涼としたチベットの大地を目の前にしたとき、BGMはマーラーの交響曲が一番合うと、あの大げさなメロディーが。
 
暗いなか曲を聞いて横になっているとなんとなくお腹がおかしい、なんとかがまんしていたが寝返りをうったとたん、ググッと鳴ってもう無理だ。急いでGパンをはきティシュと懐中電灯を持ち傘をさして外へ出た。
 
しかしだ、外へ出ればあの怖い犬がいる、つながれてはいるが吠えまくられればオヤジが出てくるだろう。裏庭に行ってみた。

 
  美しい花咲く村長の家の庭、すいませんこんな所に…
 
意外ときれいだ、草はけっこう深く野草の花がいっぱい咲いている。なんとか目立たない所を見つけ苦労しつつも無事済ます。 何でこんなことになるんだ、あのバターだな。また寝ようとするとツェリンが寝に来た。どうしたんだ寒いのか、心配してくれる。オシッコしたんだと言ってごまかしておいた。しかし食べた量に比べて出た量が少ない、少し心配だ。
 
案の定また来てしまった。しかしナレとはおそろしい今度は迷わず簡単に済ませた、雨が降っていてもけっこう明るく懐中電灯は必要なかった。こんなとき日本でシャワートイレに慣れてしまった体にはウエットティシュが役にたつ、普通のティシュと使い分け最後にふくとさわやかでいられる。中国の田舎をめぐる時は必需品だ。

 


  後ろに見える細い道の右側後ろが下大武の村、

  手前の左手にアムニェ・マチェンが連なる
 
思ったよりは寝心地はよかった、しかし何回か軽い頭痛で目が覚めた。よく考えるとここは標高4500m近い、軽い高山病だ。朝のトイレを済ます、どこでしてもいいよでも大は家から離れたところでね、ツェリンがいっていた。
 
昨日は一人だったのに人がいっぱいいる、実はここのオヤジはヤクの放牧をしながら下大武の村長をやっていた。朝の打ち合わせだったのかみんな車に乗ったりして去っていく、この辺の草原に散らばる家はみんな村長のものらしい。
 
ツェリンが歯を磨いている、僕にも水をくれと言うと廊下の水がめから洗面器にほんの少しくれた。ここでは水は貴重だ。使った水はそこらにまけば済む。部屋に入ると女性が二人と坊主が一人いた。奥さんと若い女性と、坊主はなんなんだ。
 
旅行社に戻った時に分かった、この家には息子が一人いてそれも近くのゴンパの活仏なのだと。仏壇の前の大きな椅子にほほ笑んで座っていた。ウエストは1m以上あり日本人の感覚からいうと坊主にしては太りすぎだと思う、オヤジもかなりなメタボだ。いい生活してんだろうな、活仏の地位を金で買ってないだろううな、少し考えすぎか…。
 
椅子に座るとツァンパが出てきた、少しお茶を飲みすぎてこねる量が少なくなった、でもいい香りがする。しかし塊がいくつか入っていて食べにくいしあまりおいしくない、残念だあこがれのツァンパなのに。テーブルのパンを食べる、若い女性がお茶を入れてくれる、飲むと足してくれるのでつい飲みすぎる。

 

 

  アムニェ・マチェンの一部、全景を撮るのはむずかしい
 
さあ出発だ、村長の車は少し古めのパジェロ、温度が低いせいかエンジンのかかりが遅い少し心配だ、あんのじょう走り出すと後ろから来たトヨタに抜かれた。がんばれミツビシ。
 
僕は運転する村長の隣に座る、シートベルトをしめようとすると壊れていた、村長が妙な顔をする、シートベルトは必要なかった。さすが4WDだ今までの車とは大違い、ガタガタ道も水のあふれた道も平気だ。
 
いくつかの峰が続いてアムニェ・マチェンになっている、小さな山脈という感じだ。道の横が草原そして川をはさんで花の咲く草原が続き山がそびえたつ。全体が見渡せる道で休憩、残念ながら雪におおわれた最高峰6282mは薄い雨雲がかかり見れなかった。しかしなんとも美しい。
 
しばらくすると男一人女二人の白人がやってきた、フィンランド人だ。七日間かけてキャンプをしながら山麓を回っているという、え、コルラしてんの。そうかこの道は「マチェン」まで続いているが一部はコルラ道になっているのだ。
 
いいなあこんな所をキャンプして回れるなんて。どうやらどこかの旅行社に頼んで回っているらしい、三人の後にチベット人のガイドと、食料とキャンプ道具をくくりつけたヤク四頭が通った。しかし毎日夜は雨だろうに、けっこう大変だな。それに4500m辺りを歩くのはかなりきつそうだ。女性二人の歩みはかなり遅い。


  氷河の先端部、けっこう迫力がある

  紙をまく二人、一生懸命だ
 
氷河の見れる場所を目指して再び走る、また四人組の白人が歩いている、窓から手をふる。有名でなくとも美しいところには必ず白人がいる、それほどでなくても有名なところには日本人と中国人の団体がいる。
 
氷河の場所は峠でもある、チョルテンにタルチョが飾られている。村長が声を張り上げ車を止める、二人は小さな紙の束を投げながらチョルテンを回る、お祈りを捧げながら。僕も少しもらって紙を投げ上げる、楽しい、みんな興奮気味だ。村長はしょっちゅう来てるはずなのにうれしそうだ。ツェリンは座ってお祈りを始める。
 
氷河はここからは見えない、割れたかわらのような石が積み上がった丘を越えないと。少しあぶなっかしいががんばって登ってみる。見えた、少し汚れているようにも思えるがあきらかに氷河だ。山脈の左側から流れ出ているのだった。石の丘を下りて近づいてみる。大きな自然は少し怖さを感じる、記念にオシッコを捧げておいた。罰があたるか…。
 
 戻ろうとするとツェリンが迎えにきた、心配そうだ。石の重なる中をゆっくり歩いていると、なんかテレビで見たような植物が、雪れんか、チベット医学の有名な薬草だ。まだ花は咲いていないが感激して写真をとる。でもこの草は5000m以上の高地にあるはずだが、高度計が壊れてよくわからないが、ここはそんなに高い所なのだろうか。


  コルラする人の荷物を運ぶヤク四頭、

  けっこうおくびょうだ
 
チョルテンに戻ると、さっき追い越した四人組のうちの二人がいた。先の二人はもう石の丘を登っている。二人のうち一人は女性だ、ツェリンたちと話している。村長はチベット語それもアムド方言しかしゃべれないはずなのに、すごく楽しそうに話している。勉強したのだ、世界中どこの国もがんばるのは若い女性だな。
 
僕はもう一人の男に話しかけてみた、気のなさそうなそぶりをしていたが、突然日本人か、と目を輝かせた。僕のしぐさか英語の発音で気がついたみたいだ。それからがたいへんだった。
 
日本に行ったんだよ、東京、京都、大阪…、すごくよかったよ、いい国だな。特に沖縄だ、二か月もいたんだ、景色も食べ物もそして人々も、音楽もいいな、そして一節を歌い出す。そうそうそれと北海道のラーメン、すごいうまかった。寿司は、いや寿司より北海道ラーメンがうまかったんだよ、そんなうまいラーメン北海道のどこで食べたんだこっちが知りたい。
 
スペイン人だった。日本語とスペイン語は似てるよ、英語や中国語のようにアクセントがあまりないから、だから日本語もいろいろ覚えたよ。へえー知らなかった。思わぬところで日本をほめてもらいいい気分だ。こんなふうに中国で外国人に会った時、日本人だと知ると笑顔になりときには彼のようにいろいろほめてくれる。いい国日本は世界に定着している。
 
彼らはアジアをいろいろ巡っているらしい、ガイドなしで歩いている、どうやってこの道を知ったのだろう。キャンプするには荷物が少ないが。女性のおしゃべりも終わり笑顔で別れた。もう少し行くとまた眺めのいい場所があるらしいが、ここで戻ることになった。外国人もみんな口をそろえて言っていた、すごく美しいところだ、来てよかったと。


  こんな平べったい石が重なる斜面のところどころに

  ブルーポピが咲く
 
行きは右に座って山並に夢中だったので気づかなかったが、反対側は斜面になっており石の散らばる中いろんな花が咲いている。何気なく見ていると、なんか青いものが、ブルーポピーだ、思わず叫んで車を止める。写真を撮った。

  この花も草原にたくさん咲いている、名前はわからない
 
今やチベットといえばブルーポピーというくらいで、雑誌などでよく見ていたからあまり期待はしていなかったが、やはり実物は美しかった。水色でもなく青でもない色、薄くやわらかな花びら、みずみずしく小さく風に揺れて咲いている。
 
家に戻りパンを食べお茶を飲む、村長達はヤクの干し肉をナイフで削って食べている、ツェリンにせがんで少し分けてもらう、味も硬さも牛スジそっくりだ。
 
旅行者がいるときは会社が村長と連絡をとり、道が通れるか、4WDが必要か、氷河まで行けるか聞くらしい。今回は村長の4WDのおかげで楽しく行けた、500元払う。けして安くはないがそれだけの価値はある。「クワチンチィ」アムド語でありがとうと村長一家につげ下大武を後にした。帰りは問題なく国道まで出られた。

 


  水晶色したチャリン・ツォの湖面
 
3時間くらいでマトゥ到着。マトゥ賓館に泊まる、まだ明るかったので散歩に出た。T字型の短い道に店が並んでいる。去年来た時は民族服を着たチベット人がたくさんいたのに今年は違う、普通の服を着た人がほとんどだ、たぶんチベット人だとは思うがあの人なつっこい笑顔もないどうしたんだろう。カメラを構えるとよろこんでポーズをとってくれたのに。
 
チベットの服を着た人たちの写真をたくさん撮るつもりで来たのに…。中国人が全国からたくさん移住してきて、チベット人もニコニコしているどころではなくなったのではないか。去年よりT字路の回りに立ち並ぶ家が多くなったように思う。中国人の観光客が多くなったせいかもしれない。
 
勝手に推測してみる。中国の国土は広いが人が生活できない地域も広い、そこに13億人はやはり多すぎるのだろう、いろいろ移住させている。そしてチベットウイグルにも移住させる、一見住みにくそうだがどちらもうまくインフラを整えれば水はいくらでもある。水があればなんとかなる。
 
西寧にもかなり入りこんで街がどんどん大きくなっている。東の端にあった旅行社の地区は経済開発区と呼ばれていてビルやマンションをたくさん建設中だ。そしてアムドの小さな町にも入りつつあるのだろう…。そのためにどの町も活気があるともいえるが、殺気立っているというのが正しい感想だ、町中も雑然として散らかっている。
 
入り込んできた中国人も必死だ、自分の立ち位置を確保しなければいけないから。五年くらいすれば落ち着くだろうか。チベット人の笑顔も戻るだろうか…。でも景色は変わってはいない、明日は黄河源流近くの湖まで行く。

 
  波がよせるチャリン・ツォの岸辺
 
朝8時半頃出発した。食事するいい店もないのでスナックを買って出かける。一時間も行くと道に綱がはってあった。入場料80元を払う。道を訪ねていると小さな女の子が出てきた、少し食べたスナックをツェリンがあげていた、やさしい。ツェリンは本当にチベット人が好きだ、ホテルのカウンターの女の子達ともキャアキャアやっていた。
 
チベットにはもともとチベット語の地名があるが、それを中国語に置き換え中国語読みする、それをまた日本語読みする、チベット語も日本語読みする、中国語をアルファベット表記して英語読みしたものを日本語読みする、もともとの名前もその土地の方言がありなまっている、といろいろありその場合によって使うものが違っている。
 
二つの湖の名前はンゴリン・ツォとチャリン・ツォ、と僕のガイドブックに書いてあるのでそれを使おう、でも現地の人がしゃべると違って聞こえる。走り出すとすぐに湖が見えてくる、樹木もなくもちろん建物もないから向こう岸まではっきり見える、草原の中に浮かんでいる大きな水たまりのようだ。
 
大小いろいろあってどれが目的のンゴリン・ツォかわからない。ツェリンがいろいろな人に聞いて道を行く。湖の岸辺からそう遠くないところに張ってあったテントの遊牧民にも聞いていた。
 
昔見たテレビの映像ではさみしげなゴンパが二つの湖の間にあった。しかし今は違う、チョルテンがいくつか建ちその前を走りやすい道が通っている。そして僕の持っていたガイドブックの地図の道も違っていた。二つの湖の横を通ってその先の源流星宿海へ続いていた道が、ゴンパの横を通り二つの湖をSの字に横切って先の村に伸びていたのだ。

 
  黄河第一橋
 
観光地として人気が出てきたのだろう、いろいろと開発している。チャリン・ツォの手前に橋があった、黄河第一橋だ、ついに黄河の最初の橋に出会えた、感激だ。もっと先まで行こうツェリンは張り切る、でも道はガタガタ道に変わっていた少し不安だ。
 
かなり走るとついにチャリン・ツォの岸辺に出た。 なんとも美しい、そして人の気配がしない。なだらかな緑に包まれた丘が続く、たくさんの野草、そして水晶のような色をした湖、道ができたのは最近だ、まだここまではあまり人が来ないのだ、ここも今が穴場だな。道に続く村まで行きたそうだったが心配だったので引き返してもらうことにした。十分に堪能した。

 
  遊牧民の家族、住所はンゴリン・ツォ、

  子供たちの顔に笑顔がい、厳しい環境だとわかる

帰り道でさっき寄った遊牧民のテントにおじゃまし食事をごちそうになった。パンとミルクティーだ。にこやかな夫婦が応待してくれた、やはりお茶は飲むとすぐついでくれるので飲みすぎる。子供が三人いた、テントの床は草原だ、子供が腰をついて遊んでいる。
 
お金は払わなくていいのかと聞くと、ツェリンがチベット人は旅行者をごちそうしてもてなすのが常識だ、みたいなことを少し不機嫌な顔をして言った。失礼しました。
 
  中国のソーラーパネル産業が好調な理由がこれ
ゴンパの前の岸辺でピクニックをしている中国人を見ながら元来た道を戻る。チベットは車に乗っていてもトイレの心配がない、運転中のツェリンは時々車を止め紙を持って見えないところへ消える。ホテルの狭い部屋でやるより草原の方が気持ちいいのだ、それにどこでもOKだし。
 
そんなツェリンが運転を誤った、ハンドルをジャリ道にとられ、道をはずし何回かバウンドして止まった。さいわい人も車も大丈夫だったが、シートベルトをしてなかったらかなりひどいけがをしただろう。それでも会社や保険会社などに電話して時間をくった、念のため車の状態や落ちた道のあたりを写真に撮った。

 


   二つの湖の間に立つゴンパ
 
ホテルに着くと5時を回っていた、しかしまだ明るいので散歩した。ほんとは二日くらいマトゥにいて近くの丘で一人ピクニックを楽しむつもりだったが時間がない、近くの橋まで行ってみた。しかし思ったより遠くて疲れた。しかし予定どおり草に座りコーヒーを飲んだ、一応満足。草は遠くで見るよりまばらで座る場所が見つけにくい。
 
ホテルに戻りシャワーを浴びてから食事。町のはずれにある火鍋料理店へ行ってみた、今日が最後だから少しおごろうと思ったのに、まずかった。全体的にアムドの食堂はうまくない、西寧もそうだ、料理も町と同じで混乱しているのか…。
 
これで終わりだ、明日はまた一日かけて西寧に戻る。行く予定だったところはみんな行った、いろんなところでコルラした、美しい景色はあきるほど見た。思ってもいなかった遊牧民の家とテントの訪問、宿泊。ミルクティー、ツァンパ、ヤクの肉も食べた。氷河もブルーポピーも雪れんも見た、ナキウサギもガゼルも狼まで見た。いろんな人達と話をした、少し興奮している。
 
旅の初めのトラブルで落ち込んでいた心をとり直したのは、社長グリさんとの会話だ、ならば旅の興奮を収めてくれるのもグリさんとの会話しかない。そう思い事故の写真を会社のPCに入れることを口実にして、帰り道の途中で電話し翌日の昼すぎに行くことにした。
 
会社にはグリさんのほかに日本に留学して日本語ペラペラの女性ノルツォさんもいた。いろいろ話した、しかしグリさんもよく話す、負けずに話さないと何しに来たのか分からなくなる。調子にのって、今度はカン・リンポチェ、カイラス山に行くことにした。
 
二時間も話し込んで会社を後にした。金を節約してバスばかり乗っていたおかげで西寧の街が少しわかってきた、またここを起点にいろいろ巡ってみよう、いい旅行社も見つかったし…。


お世話になったのは
 
西蔵チベット旅行会社

中国青海省西寧市経済技術開発東川工業園金橋路36号

http://tibettourco.com